できました。3rdDEMO(仮)。
我々の演奏技術、歌唱力がかなり水増しされ、実力以上のものが生まれました。妥協はしたけど。
なかなかテンパっていたものの、おもったよりスムーズだった事で自信を取り戻しました。
留年はかろうじて免れました。というより、生かされました。
なんとか生きながらえようと、午前11時までに教務課に書類を出しに行ったわけです。バスで。ほぼ寝れなかった中ぼけっとバス停に来たバスに乗り、一度帰宅。
最初、料金が10円高かったことには何も異常は感じなかった。
乗ってて問題発生。運転手がどう見ても長距離トラックに乗っているとしか思えない。違った。いつも曲がるところを直進してる。どう見ても公共機関の運転手でないそれはばあさんがふらふらなことなど気にも留めず、急発進、急停車を繰り返す。そしてこの運転手が切れてるのではなく、路線を間違ってバスに乗ってることに気づく。
即効で降りたけど後の祭。どう考えてもバス乗った場所から家までの距離はそんなに変わってない。ここでもう一問題。カギがない。
完全な負け試合ムードが漂う中、タクシーを拾って家へ。この時点で残り1時間を切ってることに気づく。
隣の管理会社に合鍵を借りようとしたけど、電話出ない。そしてピンポンにも無反応。
そこで前日寝るときに開いてた窓を足で閉めた事に気づく。しめた。窓の鍵をかけた記憶はない。おれの足にそんな技術もない。自分ちに空き巣。
というわけで書類を持って学校へ。正当な評価の末の判定により留年の確定は免れる。ただ、わざわざバス、タクシーを駆使し、25時間寝ずに学校に行く必要は一体あったのか。あった事にしないと浮かばれないよね。
工場長の日記は反則だよね。
2011年11月16日水曜日
ピューリタン革命
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